トンネルを抜けたら、一生懸命しなくていい自分になっていた

広島のホテルの窓から見える城と川と街並み。デスクとランプが静かに灯る部屋。 心とからだを整える

このブログを始めたのは、昨年の9月。

今思えば、1年近く患った突発性難聴からの回復記録として
始めたようなところがある。
更年期も重なり、長いトンネルの中にいた私には、
このブログが希望を失わないためのものだったのだと思う。

あの頃は、不安になる時間を料理に夢中になることに充てていて
台所に立つことが、トンネルの中で灯りをともすような時間だった。

そして、いつの間にか、トンネルを抜けていたことに気づいたというところ。


2025年。年末の職員研修で長崎へ行った。
久しぶりの遠出で不安もあった。

長崎港の眺め。緑の丘と造船所のクレーンが見える晴れた日の風景。

だけど、長崎の旅は、自分に体力が戻っていることが確信できたし、次にどこか旅行に行きたい気持ちになった。
私はまた、遠くに行ける。

それは、トンネルの中で出口が見えた時だったのかもしれない。
とても小さく、静かな光だったけど。

そこから、少しずつ行動範囲が広がっていった。
1月、広島で手作りソーセージの料理教室。
2月、姫路で立春スパイス料理教室。
5月には、また姫路で初夏のスパイス料理教室に参加する予定。

スパイス料理教室で並ぶインド料理のプレートと小鉢。金のトレーに盛られた豊かな食卓。

旅は、私の行動範囲と可能性を広げてくれた。
遠出することが、特別ではなくなってきた。
安静ばかりの暮らしに動きができた。


私は村上春樹さんの作品に出てくる魅力的な登場人物たちに、ずっと憧れてきた。

さらりと料理をして、音楽をかけて、本を読む。
そういうことに、いちいち力が入っていない。

それを目指して、私はずっと一生懸命だった。
スパゲッティやサンドイッチの練習をしたり、アイロンがけの練習もした。
丁寧なトレーニングや片付けを練習した。
さりげなく、できるようになりたくて。

でも最近気づいたのだけど
一生懸命しなくても、そういうことができている。

楽器の練習が、いつの間にか演奏になっている。
そういう感覚に近い。

目標に向かって練習している様子を、ずっと綴ってきた。
でも練習が日常になると、次の目標を探してしまう。
本当は味わいたい到達点を、味わうことなく。
だから、戸惑っている。

もう、次々に挑戦して情熱を情熱的に表現することは、私のフェーズではない気がしている。
心地よさを、心地よく書いていきたいとは思うようになった。
そんな心の変化もありつつ、50代の今の私が綴る
このブログの変化を温かく見守っていただけると嬉しい。

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