突発性難聴・回復記録②|改善しない恐怖——一人で乗り越える方が楽だったので

回復する人は点滴10回で治る、早期対処なら7割の人には効く、と、聞いていた。対処の早い方だった私は「7割側に入っている」と、余裕でそう思っていた。

10回目が終わった。結果は、良くなかった。点滴が、あと10回追加になった。

合計20回の点滴。

先生はやさしく教えてくれた。「改善する確率は低いけれど、今より改善する可能性もあるし、保険が効く残り10回を受けませんか」と。私は3割側だった。

その日の帰り、ローストビーフ丼を食べた。

ランチを奮発して、気分を切り替えよう、と思ったのだけど食あたりになり、帰宅してから動けなくなった。

元気をつけるつもりで余計に消耗してしまった自分に笑った。

一人暮らし。パートナーがいる時もあるけれど、私が弱るとパートナーも弱るパターンが多かったので、一人で倒れている方がゆっくり休める考え方。だから老後も踏まえて動けなくなった時のことを割と考えている方だと思う。

食洗機。ホットクック。洗濯機。自動コーヒーメーカー。一人暮らしには贅沢に思われがちなものを私は揃えている。

私の突発性難聴の症状の一つで、急に電池が切れたように動けなくなる時が何度も何度もあった。そうなると、6時間は何もできない。うちの家電はほぼ自動だし、食事のストックも十分にある。過去の自分の準備の良さに感謝しつつ、目を開けると、相変わらず、ぐるぐる回っている天井を見て、また、気を失うように眠った日々が多かった。

20日の間に、6回、特に地獄のような日があった。そのうち3回は、目を閉じながら「もう本当にだめかもしれない」と思った。

突発性難聴だから、生命に別条はない。それは頭ではわかっていた。だけど、怖かった。倒れる時は、貧血とは違って予告がなくくる。気がついた時には倒れている。磁石が頭と床に付いているのではないかと思うくらい動かせないくらい頭は床やテーブルについていた。

ある夜、その日は調子が良かった。体力が少し戻ってきた気がして、鍋でご飯を炊いて、しょうが焼きも作った。おいしかった。もう一杯、食べたいと思った。

その時も前触れがなく、急に、頭がテーブルにくっついて離れなくなった。そのまま6時間、動けなかった。30cm先にあるコップの水も飲めなかった。

目が覚めた時、私は思った。さっきが私の最期の日だとしてもおかしくなかった。気がつくか、つかないだけの違いだと感じた。とはいえ、2杯目のごはんがすごく美味しいと感じた直後だったものだから、それはすごく幸福な最期になりかけていたとも思った。一人の部屋で笑った。床の上倒れたままだったけど。

11月3日の夜、ノートに赤字で神様に暴言を書いた。

「これだけおとなしく言うことを聞いてきたのに もう、許せない。 もとの耳より よけいに聞こえるように なるけんな! あと残り5回の点滴しかないけど とにかく睡眠をとって、リンパの流れをよくする。 老廃物は流す。 集中ケアやるけんな! アー、腹が立つ! アー、もー、絶対治すけんなー」

今見ると笑える。私は気落ちするより、パワー放出型のようだけど、このような怒りが出てきたのは、元気になってきた証拠だったと今は思う。そして、神様、あの時はすみません。

難聴になってできなくなったことのひとつに、iPadや携帯の画面を見ることがある。眩しくて見られない。そして、画面を見ると目が回る。気持ちが悪くなる。気が遠くなる。1分も画面に集中できない。

自分と同じ症状の人を知りたい。どうやって治ったかを知りたい。治らない3割側に今いるけど、そんな人でも治った話が知りたい。だけど、集中して見ることができない。そんな日々を過ごしていた。

いろいろなアドバイスがあって鍼灸が良い、よく効く薬がある、などたくさんの話を聞いたけど、ほぼ毎日の点滴と、6回の薬で私は一杯一杯だった。

その頃、私は本をよく読んだ。と言っても、目が回るので、少し読んでは眠っていたのだけれど。そんな時に「マカン・マラン」のシリーズに出会ったり、「ライオンのおやつ」を読んだりした。どちらの主人公も、重い病気を抱えていた。

ライオンのおやつの中に、こんな問いかけがある。

——人生の最後に食べたい「おやつ」は何ですか。

元気な時は、いろいろ何が食べたいか考えたりしたけど、今は、この食事が最期かもしれないとさえ思うくらい気持ちが切羽詰まっているところだったので、毎回、最高に美味しいと感じながら食べる自分になっていたので最期のおやつという感覚が思いつかなくなっていた。

体調について。4日くらい調子がいい日が続くと、5日目くらいにまた地獄がくる。それでも、少しずつ地獄日までの日数が伸びていった気がした。病院への新しい道を覚えた。冒険ができるようになったのだと思う。おばあさんのような速度で歩いていた私が小走りできた日も覚えている。迷惑をかけた周りの人にお礼がしたいけど買いに行けない。なんとか食パンを焼いて、職場の人に持っていった。「おいしい」と言ってもらえた日もあった。

11月15日。20回目の点滴の日。聴力検査があった。左耳を触っても、右耳を触った時と違って、小さな音にしか聞こえないのがわかっている。聞こえていない結果が出るのもわかっている。緊張しすぎて、貧血の症状が出た。

結果は、「普段の生活に支障はないレベルに回復」。

先生がそう言ってくれた。でも私の心は、すっきりしなかった。耳鳴りもまだ、相当あった。自分の感覚と、数字がかみ合わない。先生の言葉を信じるしかない。でも信じ切れない。「難聴はすぱっと治るものではない。いつの間に治っているもの」先生の言葉を信じたい一心で、ノートに言葉を書き留めた。

この時の私には、まだわからなかった。「いつの間に」が、本当に来ることを。それがいつなのか、どんな形でやってくるのかを。次の章へ続く。

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