ジャーナリング111日目・引き寄せと桧のおにぎり

ジャーナリング111日目。
前回の投稿から、1週間が経った。
この1週間に起きたことは、なかなか目を見張るものだった。信じられないくらい馬鹿げたことが起こったり、絶望的な気持ちになる出来事もあったのだけど、どちらも、驚くほど短時間で状況が変わった。
絶望的だと感じた方は、3時間ほどで好転していた。
引き寄せや、スピリチュアルな世界への憧れは、ずっとあった。
特別な霊的感受性があるわけではないし、そういった本を読みながらも、自分には縁のない話だと、どこかで思っていた。
けれど、この段階に来ると、著者の方々がそれらしい体験を重ねてきた理由が腑に落ちてくる。
あの感動を書き残したくなる気持ちが、少しだけ近くなった気がする。
私が確信していることがある。
ネガティブな出来事への反応に使う時間を、建設的なことにトレードオフすること。
筋トレにしても勉強にしても、やった人とやらなかった人の差は、始めた日にはほとんどない。でも時間が経つにつれて、その差は誰の目にも明らかになっていく。
ジャーナリングの書き方を変えて111日。ただ書き続けるのではなく、不快な感情から離れて、自分が心地よいと感じることへトレードオフしていく練習を続けてきた。
その積み重ねが、今の切り替えの速さにつながっている気がする。3時間で好転したのも、偶然ではないと思っている。
私に起きていることは、外から見ればささやかなことかもしれない。
小さな偶然に気づくには、自分を客観的に見る目が必要だと思う。私の場合、それがジャーナリングなのだろう。
書いたものを後から読み返すと、あのとき願っていたことが、いつの間にか叶っていた、ということが何度もある。その繰り返しを経て、今は、気づくのがずいぶんと早くなった気がしている。
4月の終わりに、桧で作られたおにぎりの木枠が手元に来た。
最近、おにぎりにハマっているのだけど、炊き立てのご飯で何個も作るとなると、熱くて手が追いつかない。プラスチックの型だとすぐに邪魔な気持ちになってしまい、手放してしまう。
どうせなら、ずっと大切にしたいと思える道具が欲しい。そう思ったとき、木枠のおにぎり型が世の中にあることを知った。
うちでも桧でおにぎりが作れたら、どんなに素敵だろうか、と、ふと思っていた。その翌日には、思いがけない流れでそれが叶うことになった。
これが、私の奇跡のひとつ。
水にたっぷり浸した木枠からは、部屋中が桧の香りで満たされるような、高貴な香りがした。
その木枠で作ったおにぎりの美味しさときたら、普段ある愚かな出来事をいっぺんに忘れてしまうほどの感動があった。
数週間前には想像もしていなかった、木枠を使ったおにぎり作りの練習をしている私が、今ここにいる。
こんなことが続くうちに数ヶ月後の私は、問題が解決することの速さや、願ったことが叶う速さの意味を、すっかりわかっているのかもしれない。
↓木製トレーは無印良品のもの